ふと自分の昔と今を比べると、最近は気持ちが楽になったなーとしみじみ感じています てるです。
なんで楽になったのか考えていると、これだなと思うことがあったので書いていきます。
有能だと思われたい人の誤解
昔はいつでもみんなから有能だと評価されたいと思っていました。
なんでもうまくこなしたい、完璧にしたいと思っていました。
だからなにをするにも失敗を恐れ、うまくできそうなことしか挑戦しませんでした。
そんな感じで、友達に対しても有能だと思われたいので、見栄を張るし、弱音は吐かない、そんでもって、八方美人。大げさに言うと、友達に対して本当の自分を出していない感じでした。
だからなんとなく生きづらいなーってのは思っていました。
生きづらいのになんで常に有能であろうとしていたかというと、好かれたいからでした。
有能な人ほど、尊敬され好かれる。そんなふうに思っていました。
でもそうとは限らないですよね。
完璧でない人も好かれているし、尊敬されています。
もしも何もかも有能で完璧な人がいたとしたら、どうですか?
友だちになりたいと思いますか?
お近づきになりたいとは思うかもしれないけど、友達は無理かなと思います。
なんか長い間一緒にいたら疲れそうですよね。スキがない感じ。
あと、いつも有能でいようとしたってそんなのは無理なんです。
完璧に見える人でも、どこかしら欠けてるとこはあります。無理なものは追いかけなくていいと思います。
欠けてていいんです。欠けてるのが自然であり、その人の味がでるところなんじゃないかなと思います。
欠点は人と人とを繋ぐ接着剤
欠点はあるのが普通だと思えたことで少し楽になっただけでなく、欠点や足りていない部分に関して助けを求めることができるようになりました。
助けを求めるとほとんどの人は温かく対応してくれます。
しかもそのあとも気にかけてくれます。
助けを求められるようになると、わからないことや、つまずいたところを早くクリアすることができるので、結果1人でやるよりも多くのことができるんですよね。
有能と思われたくて1人でやるよりも弱みを見せて手伝ってもらったほうが有能になれるという。皮肉な話ですよね。
こんな感じで人に頼っていくと、今度はこっちも頼られてと持ちつ持たれつの仲になっていきます。どんどん仲がよくなります。
実際頼み事をすると助けた側が助けられた側に好意を持つことがわかっています。
詳しくは、先日の「【頼み事が苦手な人必見】仲良くなる頼み方」をご覧ください。
絶対ではないですが、僕の妹含め末っ子が好かれるのは頼むのがうまいからこそなんじゃないかなと思いました。
頼み事を聞いてもらえて好かれるなんていいですよねー。
さいごに
今は、弱みをさらけ出せるようになって、その弱みを受け止めて、助けてくれる人がいます。
等身大の自分が認められた感じです。
こうやって変わっていったから楽になれました。
弱みをさらけ出すのは初めは勇気がいると思います。
でも「欠点は人と人とを繋ぐ接着剤」だと思ってがんばってください。
ではまた次回
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