こんにちは、てるです。
先日登山したんですけど、そのとき友人とこんな会話をしました。
その友人とは3年くらいの付き合いで、出会った当初と比べて大分変ったよねと。
一番楽になったのは、誰からも好かれようとしなくなったことだね。と二人で話しました。
今回はこんなことについて話していこうかと。
「全ての人から認められ、愛されなければならない」
そのとおりだと思う場合は10点、まったくそう思わない場合は1点だとしたら、あなたは何点ですか?
昔のぼくは10点でした。
そのときは周囲の人から好かれ、認められるために必死でした。
とにかく八方美人で、常に気を遣い、とても疲れていました。
愛されなければならないの思い込みが生まれた要因
小学生のときです。
初めて仲間外れにされたと、感じました。
下校中、友達8人くらいが目の前で円陣を組んでひそひそ話。
放課後何して遊ぶのかを検討しています。
そして、その人たちが遊びたい人が横を通ったら、円陣に加える。
僕は蚊帳の外でした。
中に入ろうとしても入れてもらえない。
こんなに寂しいことはありません。
そして、これは続きます。
中学1年のときも一時期嫌われてしまいました。
このときだったと思います。
周りに合わせて行動したほうが、嫌われずにいられると学習したのは。
そう学習して、合わせて行動して、実際嫌われなくなりました。
全ての人に認められ、愛されるために、自分を殺し、周りに合わせて気を遣う。
こうやって学習していくうちに、「全ての人から認められ、愛されなければならない」という思い込みが激しくなっていきました。
周りに合わせることがそのとき生きていくうえで必要でした。そしてそれがうまくいってしまったら思い込みを強化してしまう。
こんな悪循環で苦しんでいませんか?
思い込みから抜け出すヒント
思い込みは大学時代から徐々に薄れていきました。
今は点数だと4点くらいな気がします。
思い込みが薄れるきっかけはみんなから好かれようとしている人を見たことでした。
そんな人を見たとき、人はそれぞれ個性があるんだし、相性もあるし、全員から好かれるなんて無理だろって思ったんです。
そして、そういえば無意識に自分も同じようなことをしていた。ということにやっと気づくことができました。
それからは、わかりあえなくても仕方のないことだなと感じるようになりました。
また前までは、わかりあえなかったとき、自分の何がいけないんだろうと、自分の中に原因を探して、自分を責めていました。
しかし今は、二人の関係性が良くなかった。自分も相手も悪いわけではない。二人の関係性が良くなかった。という風に受け止めるようになりました。
これでとても楽になれました。
合う人と合わない人がいます。合わせなければいれないと感じるなら、そこはあなたがいるべき場所ではないのかもしれません。
思い込みから抜け出すと大切な人がわかる
最近思うのは、わかりあえる、仲良くなれる人というのは、実はそんなに多くはないなということです。
わかり合えない人のほうが多い気がします。
だからわかり合えないというのは、思ったより当たり前で、普通のこと。
だから別に気にすることではない。
むしろ、わかり合えたことが奇跡であり、稀なこと。
こんなふうに思います。
こんな感情になれてから、わかり合えた人たちをより一層大切にするようになったと思います。
わかり合えた人と楽しいことをしていきたいし、喜ぶ顔が見たいなと思います。
わかり合えなければ、それは仕方のないこと。
わかりあえたらとてもうれしく幸せなこと。
ゲシュタルトの祈り
最後にゲシュタルト療法の創始者 フレデリック・パールズ残した「ゲシュタルトの祈り」という言葉を送ります。
「私は私のことをします。
あなたはあなたのことをしてください。
私が生きているのは、あなたの期待に応えるためではありません。
あなたもまた、私の期待に応えるために生きているのではありません。
あなたはあなた、私は私。
もし、私たちの心が通じ合わなくてもそれは仕方のないことです。
そして、私たちの心がたまたま触れ合うことがあれば。
それは最高に素晴らしいことです。」
まとめ
人はわかり合えることのほうが少ない
わかり合えたらそれは最高で素晴らしい
酸いも甘いもある人生、だから楽しいんだよね